「測る企業は成功率が2倍に」という日経コンピュータの記事(2008年12月1日号)
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090128/323651
これの意味するところは何か。
「そうか・・・では我々も定量的管理をしよう。しかし負荷をかけたくないしよくわからないから上手くいってる組織の管理項目を聞いてそれを実践しよう」という考えは是か否か。
もうひとつ記事を。
子供の学力は親の年収に比例する傾向にあるそうだ。ただ年収が低くとも、ニュースについて語りあったり読み聞かせしたりする家庭の子は学力が高いらしい。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20090805-OYT8T00352.htm
それでどこかの教授が、「低所得でも親の心がけ次第で学力向上につながる」とかなんとか間抜けなコメントをしていた。なぜ間抜けか。
持たざる者は工夫で乗り切れと言っているのだ。
所得による教育格差が小さな差であればそれは可能であろう。
しかし、本当に工夫で乗り越えられるのであろうか。
敵戦闘機に対して竹やりで頑張れみたいなことを言っていないか?
まあ、確かに大学受験のために塾に行ったり家庭教師を雇うのにお金はかかる。
だからそれをお父さんお母さん方が代わりに教えれば金はかからない・・・というのならば納得はできる。しかし、大学受験のための勉強を教えられる父母がどれだけいよう。
読み聞かせしたりニュースについて語りあったりする家庭は、それだけしているわけではない。親が子に何をすべきかを考えて色々行っているのだ。その一例が読み聞かせ等であるにすぎない。だから読み聞かせやニュースについて語り合うことだけすすめても意味がない。
ポイントは、読み聞かせたりニュースについて語り合う家庭環境にあるのかだ。この環境が家庭内になくても、親の年収があれば塾や習い事で補われるということではないだろうか。逆に親が今の生活に精一杯ならば、読み聞かせ等はしたくてもできない。結局、一義的には親の年収が重要だと思われる。
しかし年収はそれほど多くなくとも読み聞かせやニュースについて語り合うことができる家庭はあろう。ここで間違えてはいけないのは読み聞かせとニュースについて語り合うことだけ実践すれば良いと考えることだ。この二つは親の年収に関係なく成績が良い子をあぶり出す単なるパラメータに過ぎない。
これが必要十分条件ではない。要は読み聞かせやニュースについて語り合おうという家庭内の文化があるか否かがポイントなのだ。しかしこの文化をマニュアル化することは難しい。勢い読み聞かせをすすめる某教授みたいなことになってしまう。
教育の専門家ではないのでこの件はこれくらいにして、ソフトウェア開発組織の定量的管理に戻る。ポイントは同じ。定量的管理を行う組織のプロジェクト成功率が高いのは定量的管理を行っているからと短絡的に考えるべきではない。定量的管理を行おうと思える組織文化が成功率を上げていると考えるべき。
だから開発が上手くいかない組織が定量的管理を始めたからといって成功率が上がる保証はない。というか個人的には必ず下がると言いたい。定性的にやることやらずして定量的管理はできないだろうから。定性的に見つけられることをわざわざ定量的に発見して嬉しい組織は別だが。
長々と書いたが、要は定量的管理を行う組織の成功率が高いからといって定量的管理を始めるのはナンセンスだということ。そんなことを言い出す上位経営層がいたら「花さかじじい」を読み聞かせると良い。表層的な形だけマネた隣りのじいさんがどうなったか教えるために。舌切り雀でも可。
以上のように考えれば、この「測る企業は成功率が2倍に」という記事自体が、定量的に怪しいのではないかと検証されるべきだと思う。
詳細に分析したら、「測る企業は、測らない企業より多く成功率向上のための他の施策を行っていることが多い。このため、実は測ることは成功に何の因果関係もないが、他の様々な施策の結果により成功する確率が高いのである」という結果になったりして・・・個人的にはこれは十分あり得る話であると考えている。
まあ、雑誌の記事なのでキャッチーな方が良いとも言えるが、これを見て「測る企業は成功率が2倍だそうだからうちも測ろう」という人が周りにいたら、「ちょっと待て」と言ったほうが良い。昔の記事だし、もう始めているかもしれないが。
バナナダイエットでバナナだけしか食べなかったらきっと病気になります。
一方、神に感謝する生活をしていれば、本当は神などいなくとも幸せに暮らせるでしょう。
何か変なたとえ。
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